龍造寺隆信(りゅうぞうじたかのぶ)
享禄2年(1529)~天正12年(1584)
九州を代表する戦国武将。天正2年(1574)12月に須古(すこ)城主平井経治(ひらいつねはる)を滅亡させ、翌年から須古城に大規模な改修を加えた。その結果、曲輪(くるわ)・土塁(どるい)・石塁(せきるい)・2重の濠(内濠・外濠)・虎口(こぐち=門)等を備えた、東西長軸560m・南北長軸580mに及ぶ県内最大の戦国期平山城(ひらやまじろ)となった。隆信は須古城を拠点とし、現在の佐賀・長崎両県、福岡県の大半、熊本県の北半と大分県の一部(肥前・肥後・豊前・筑後・筑前)を網羅(もうら)する大領国を築き、須古城は実質的にその「首都」となった。天正8年(1580)頃には家督を政家(まさいえ)に譲り、隠居の名目で須古城に移った。
隆信が東明寺大用守郭(とうみょうじだいようしゅかく)を中興開山(ちゅうこうかいざん)として再興した法泉寺(ほうせんじ)には、塔身に隆信自筆とされる「隆信」と刻まれた宝篋印塔(ほうきょういんとう)がある。他にも「隆信墓」と刻まれた有耳五輪塔(ゆうじごりんとう)の残欠が東明寺にあり、その西側の隆信神社=隆信廟(びょう)には同じく「隆信墓」と刻まれた16世紀後半の大型有耳五輪塔が御神体として祀られている。
陽興寺蔵 木造龍造寺隆信坐像(通常は非公開)
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