紀伊八平(きいはちへい)
明治15年福富村生まれ。大正13年から昭和4年まで、県議会議員として活躍。昭和初期、農地を広げるための干拓事業に尽力。有明干拓(八平搦)を企画し、県に調査要求し、設計計画に多大に尽力した。やがて、国会議員候補となったが惜しくも落選、その後病魔に侵され、八平搦の着工を見ずに病没した。
その後、八平搦は数百町歩の田畑を干拓、昭和45年度から入植の段階となり、紀伊八平氏の名は「八平搦」の名と共に歴史に残ることとなった。
福富干拓館にある紀伊八平氏の胸像
~胸像下部に記される「紀伊八平氏讃仰の辞」~
先覚者紀伊八平氏は、明治15年2月7日福富村中区に生誕され、政治家を志し、大正6年郡議となり、大正13年から昭和4年3月まで二期に亘る青年県議として活躍。
任にして、福富工区(八平搦)を企画、県に調査設計を要請、紀伊八平氏を中心とする6人の地元有志によって、工事計画を樹立、後、戦時下で中断、戦後昭和22年2月国営八平搦干拓建設事業として発足した。
昭和43年5月、町民が長年待望していた潮止め工事が完了、新たに430.26ヘクタールの造成地が誕生。先人紀伊八平氏の遺徳を偲んで名付けた「はちへい橋」を建設、昭和52年3月一切の建設工事が完了した。
当地を福富町大字八平と称し、62年8月24日、本町に編入する。同氏の先見の明、まさに驚嘆に価す。
八平氏の名は八平搦と共に永遠に福富町の歴史にその名をとどめるものである。
氏の偉大な人徳は、まさに郷土の鑑であり、町ではこれを永遠に顕彰するためその業績を讃仰して、ここに謹んで胸像を建立する。
平成7年3月吉日 福富町長土井四郎
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